なぜ優しい先生を目指すのか?_音大受験の思い出から
プロフィールの一端、そして、なぜ私が「いつも笑顔で優しい先生」を目指すのか、
ということで、音大を受験した思い出を書こうと思います。
私が音大受験をしようと思ったのは、高校2年生の夏、凄く遅い進路選択でした。
そこで、試しに国立音楽大学の夏期講習を受講。とても良かったのです。
講義、レッスン、何よりそのとき仲良くなったお友達。
「楽しいここに行きたい」と思ったんです。
しかし、その時習っていた地元の先生は別の音大系列の先生でした。
少し、相談しましたが、「そうなの。」と、けっこう素っ気なかったのです。
まあその頃、私はピアノは一生懸命練習していましたが、
普通高校に通っていて、勉強が出来る訳でもなく、ピアノは好きだけど…って、思っている程度。
将来どうしようかと真剣に考えてもみなくて…。
今となっては、どうして国音の講習を受けてみようと思ったのか覚えてないのですが、
でも、「国音に通いたい」との思いは募る一方でした。
それから、母が動いてくれました。
お友達の娘さんの国音の先生を紹介してもらって、
それから、地元から遠いその先生の所へレッスンに通うことになりました。
それが、・・・・・。 ものすごく、怖い先生でした。
(いえいえ、すいません、先生、今でも恩師の先生です)でも怖かった。
いつも、「ちがーうッ!」とおっしゃるのです。 曲の最初の一音。
何度、「ちがーうッ!」と言われたことか。
「ちがーうッ!真ん中の音を弾いて。真ん中の音!」
と言われても何の事かわからなかった、あの頃。
『タッチをしっかり、その曲にあった音色を出す』と
しっかり理解したのは、それから何年もしてからです。
先生は一度も手本を弾いてくれません。言葉だけで理解しないといけないのです。
とっても、とっても大変で、何度泣きそうになったことか。
1回のレッスンで、「ちがーうッ!」とたぶん、100回くらい言われたと思います。
でも、手首の使い方、腕の使い方、 基礎から鍛え直していただきました。
泣きそうになりながら、自分の不甲斐なさを毎回思いながら、頑張って通いました。
ピアノはそう上手ではなかったのですが、ソルフェージュは幸い苦労しないで、できました。
そうこうして先生のお蔭で、無事合格でき、楽しく国音に通う事ができました。
先生にはとても感謝しています。あと母にも。
また、地元の先生の所にも通い続けていて、先生も音大合格は喜んでくださいました。
怖い国音の先生は、大学に入ると若干優しくなりましたが、若干でした。
卒業するまで、怖かったなぁ。でも目から鱗のレッスンをして下さったこと、一生の感謝です。
先生がいらっしゃらなければ、今の自分はなかったと思います。
でもでも、怖かったので、今、私の生徒さんには、
優しく、わかりやすく、技術的な事も噛み砕いて教えるように心掛け、
いつも笑顔の優しい先生を目指しています(#⌒∇⌒#)ゞ
(音大やコンテストを目指す生徒さんにはそれなりにですけど)
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